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なにが正しいか、なんて私にとっては重要じゃない。
その答えに興味はあるけれど、指図されるものでもない。
重要なのは、頭の中身の「うつりかわり」。
だからこうやって考えていることを書き留めていくのだけど。
本当に、こたえのない道だと思う。
私は中学生くらいから、痛烈に思うことがあればノートに書き留めてきた。しかも、それを将来なにか講演をしたりエッセイとか本を書くようになったときに役立つように。つまり自分のためというよりは、「いつか行うであろう大量のアウトプットのため」に書いていたという感じ。(将来へのいわゆるネタ作りを12歳の頃から意識してたってどうかと思うけど。笑)
きっかけは、「小学生向けの少女漫画が書けるのってすごいなあ」って漫画家に対して思ったことからだったのよね。まさに12歳くらいのときだね。だって小学生が主人公の漫画、書いてるのは大人で、その漫画家は10年も20年も前の感情を回想しながら書いてるんだよな?って思って、すごい尊敬してた。(実際は取材とか沢山してるだろうね、でもそのときには回想だけで書いてると思ってた)
そのとき、「回想力」の豊かな人になろうって決めて、ずっと日記を書いてきたのよね。大学に入ってからはブログとかで適当にやってるけど、それまではノートにガンガン書きなぐって、1日にA4ノートに10ページとか書く日もあったり。
40歳になっても50歳になっても、今(10代とか20代とか)思ってることを忘れずに、できるだけ細やかな気持ちの変化とかを把握していたかった。
色んな人の気持ち、いろんな場合の、いろんな立場の、気持ち。
マイノリティとかマジョリティとか関係なく、自分がその時思ってることはこの世に存在する気持ちだから、だとしたら絶対に覚えていたいと思った。
なにが言いたいかというと、私は結論自体にあまり興味がなくて、「結論らしきものに行き着くまでの感情の変化」に興味があるだけなのだ。
・・・となると、私はスッキリするべきではないのだ。
心がもやもやしてる状態とか、未解決のままグルグルしてる状態を、「ああーースッキリしたい!!!!」「あーーーハッキリさせたい!!!!」みたいな理由で終わらせてはいけないというのが私の生き方だと思ってる。生き方、ってのはけっこう大げさなんだけど、大げさじゃないかもしれないって最近思う。
だからね、「結論らしきもの」に向かっているときの私は、周囲の人にとってみたら面倒くさいと思う。
もしくは「すべき」と「したい」の狭間で揺れているとき。
なにしろ興味しんしんだからね。
自分の状況に。
自分の頭の中身に。
人のアドバイスとかあんま聞かないからね。
それでいて、それとは別のところで相当苦しい。
だって苦しいことを楽しんでるわけではないのは確かで。単なる脳内インプットだから、楽しくもなければ悲劇のヒロインみたいな気分になるわけでもない。
迷惑かけてる人、ごめんなさい。
最近アウトプットのしすぎを反省しました。
いつか、私のアウトプットにお金を出してもらえる状態まで成長したい。
私の考えや経験や仕事の中身を、「知りたい」と言ってもらえるまで頑張ろう。
(SFCの先生になりたいなあ・・・・・)
言葉はとってもおもしろい。
頭の中身を表す方法だから、おもしろい。
その答えに興味はあるけれど、指図されるものでもない。
重要なのは、頭の中身の「うつりかわり」。
だからこうやって考えていることを書き留めていくのだけど。
本当に、こたえのない道だと思う。
私は中学生くらいから、痛烈に思うことがあればノートに書き留めてきた。しかも、それを将来なにか講演をしたりエッセイとか本を書くようになったときに役立つように。つまり自分のためというよりは、「いつか行うであろう大量のアウトプットのため」に書いていたという感じ。(将来へのいわゆるネタ作りを12歳の頃から意識してたってどうかと思うけど。笑)
きっかけは、「小学生向けの少女漫画が書けるのってすごいなあ」って漫画家に対して思ったことからだったのよね。まさに12歳くらいのときだね。だって小学生が主人公の漫画、書いてるのは大人で、その漫画家は10年も20年も前の感情を回想しながら書いてるんだよな?って思って、すごい尊敬してた。(実際は取材とか沢山してるだろうね、でもそのときには回想だけで書いてると思ってた)
そのとき、「回想力」の豊かな人になろうって決めて、ずっと日記を書いてきたのよね。大学に入ってからはブログとかで適当にやってるけど、それまではノートにガンガン書きなぐって、1日にA4ノートに10ページとか書く日もあったり。
40歳になっても50歳になっても、今(10代とか20代とか)思ってることを忘れずに、できるだけ細やかな気持ちの変化とかを把握していたかった。
色んな人の気持ち、いろんな場合の、いろんな立場の、気持ち。
マイノリティとかマジョリティとか関係なく、自分がその時思ってることはこの世に存在する気持ちだから、だとしたら絶対に覚えていたいと思った。
なにが言いたいかというと、私は結論自体にあまり興味がなくて、「結論らしきものに行き着くまでの感情の変化」に興味があるだけなのだ。
・・・となると、私はスッキリするべきではないのだ。
心がもやもやしてる状態とか、未解決のままグルグルしてる状態を、「ああーースッキリしたい!!!!」「あーーーハッキリさせたい!!!!」みたいな理由で終わらせてはいけないというのが私の生き方だと思ってる。生き方、ってのはけっこう大げさなんだけど、大げさじゃないかもしれないって最近思う。
だからね、「結論らしきもの」に向かっているときの私は、周囲の人にとってみたら面倒くさいと思う。
もしくは「すべき」と「したい」の狭間で揺れているとき。
なにしろ興味しんしんだからね。
自分の状況に。
自分の頭の中身に。
人のアドバイスとかあんま聞かないからね。
それでいて、それとは別のところで相当苦しい。
だって苦しいことを楽しんでるわけではないのは確かで。単なる脳内インプットだから、楽しくもなければ悲劇のヒロインみたいな気分になるわけでもない。
迷惑かけてる人、ごめんなさい。
最近アウトプットのしすぎを反省しました。
いつか、私のアウトプットにお金を出してもらえる状態まで成長したい。
私の考えや経験や仕事の中身を、「知りたい」と言ってもらえるまで頑張ろう。
(SFCの先生になりたいなあ・・・・・)
言葉はとってもおもしろい。
頭の中身を表す方法だから、おもしろい。
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